11/11横山廣子氏の講演の様子

11月のフォーラム
「隔たりしものとの出会い〜文化人類学的視点から〜」
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11月の講師は、国立民族学博物館助教授の横山廣子さんをお迎えして実施しました。
タイトルの『隔たりしものとの出会い』て何だろうと思われた方も多いのではないでしょうか。
それについて横山先生は、日常(連続)の変化から一つ飛躍(不連続)的に変化するための鍵が隔たりであり距離・ズレである。この隔たりは、飛躍的に変化するための、通過儀礼でもあるとのことです。

その事例として、横山先生は、22年間フィールドワークとして調査されている中国雲南省大理市のペー族の村『周城』のことを映像を使って説明してくれました。
横山先生が始めてこのペー族の村を訪ねた1984年(22年前)当時は、外国人が観光ができるようになったばかりで、農業が主体だったそうです。ただ、女性が自らの装飾用として藍の搾り染めは行われていたとのこと。それが、外国の観光客や日本の藍染産業という隔たった人たちと出会うことで、絞り藍染めが産業化されていったそうです。
これこそ、隔たっていたものとの関係が結ばれ、情報・技術が交換されたことで、新しいものが生み出されたのです。

地域おこし的な産業には、このような事例が多いのではないか?というこでした。
横山先生が日本の例とした徳島県上勝町の『彩事業』という木の葉の産業化もそうですし、近くでは富士宮焼そばも地元の人はなかなか気づかないが、隔たったた視点があったことで、発見できたのではないかと思いました。

あと、横山先生は、今年の掛川大祭を見学された印象として、下記のことを言われました。
・町内の余興がこれほど沢山あるのは珍しい
・青年が祭りを動かしており、外交や龍尾神社の手締めの前の呼吸などを見て、人が成長する祭りと感じた
・屋台の引回しに乳母車を引いたお母さんが参加しているなど、だれでも参加できる空間、各世代を取り込める空間がある(多元性共生空間)

最後に、これからは、個人人々が発展することが重要であると思っている。
ルース・ベネディクト(『菊と刀』の著者、文化人類学者)の『文化の型』という本に、『私たちの「可能性の弧」は想像するよりはるかに大きい』という言葉を紹介して講演をしめられました。

そうそう、当日はペー族のお茶を横山先生がお持ちになっていくれて、講演中にみんなで飲んだのですが、日本茶と違い後味が苦いお茶でした。先生もペー族のお茶はどれも苦くてそのなかでもこれはおいしい方だといっていましたが・・・・



posted by スローライフ掛川 at 2006/11/13 23:30 | Comment(3) | TrackBack(0) | ベーシックプログラム>講義型フォーラム
この記事へのコメント
私が一番印象に残ったのは、84年のNHKの映像に映った、若き日の(今もモチお若いです!)横山先生の姿でした。
観光客の立ち入りがようやっと許可されたばかりのぺー族の村に、ウラ若き女性がたった一人で出向き、宿泊施設がある40km離れた村から毎日バスで調査に通ったという事実。そのタイヘンさは私の想像をはるかに超えているんでしょうねぇ。
あの映像の中の、少女のような横山先生を動かしたのはなんでしょうか…。
モノに執着できない私は、そんな先生をウラヤマしく、自分をウラメしく思いました。

Posted by Sの at 2006年11月14日 00:05
あ、でもでもあの頃とまったく変わりなく好奇心にあふれ、吸収力に富んだ現在の横山先生にお会いして、「まだまだやったるで〜」という気持ちにもなれました。来年の抱負=ポジティブシンキング。
Posted by Sの at 2006年11月14日 00:18
私が印象に残ったのは、「隔たっているものに出会ったとき、自分がどう感じ、違和感や疑問を持つのか、敏感にすくい取って欲しい」という言葉でした。自分の受ける感じや感覚的なものを大事にしながら、行動と観察で自分の知りたいことに近づいていく横山先生の熱意。聞いていてほれぼれしたし、とてもすがすがしかった。
その熱意のもと、私もぜひ知りたいです。
Posted by k住 at 2006年11月14日 13:29
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